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上海旅行記 with HVF byタカギタカシ |
3月18日(土ようび)
これまでと同じように、朝食はビュッフェ形式で。
このホテルで朝食を取るのは今日が最後。なので、僕は意を決して、これまでずっと気になっていたことを訊いてみることにしたのだ。
というのは、バターナイフがないこと。
トーストがあってバターもあるのに、なぜかバターナイフが無い。
物は試しだと、女の従業員の人に英語で尋ねてみた。「バターナイフどこですか?」って。
そしたら、ものすごく嫌そうな顔するの。中国の人は、感情表現がストレートなようで、相手が客だろうとなんだろうと、そうやって真っ直ぐに心情を表してくれるみたい。(これが間違った中国人観だったらぜひ訂正して欲しいけど)
「ナイフはこれです」
従業員はそう言って、僕の席の肉切り用ナイフを示す。
「そうじゃなくって、バターナイフです」
僕がそう言うと、彼女は空席のナイフを取って来ると、それを僕のテーブルに置いて、「バターナイフはありません」と言った。
うーん、すごい。大量のフランス人が泊まってるホテルなのに。
それからホテルのロビーで肖君と合流して、メンバー全員でまた上海駅(上海火車站)に向かって出発! 地下鉄に乗って向かいます。
しかし、人の多いこと多いこと! 平日の朝に観光地に大勢の中国人がいたときには「こんなに暇なやつがいるのか」と思ったけど、そんなのはとんでもない間違いだってことにようやく気がついた。
土曜日にはもっと、遥かに多くの人が駅に詰め掛けていたんだ。これまでの込みっぷりは、単なる平日の、普通の風景に過ぎなかったんだ!
今日は列車に乗って杭州に行く予定・・・、だったはずだけど。駅に着いてみると、時間の都合上、行くことを断念せざるを得ないということが判明。
どうしよう、行くところなくなったぞ。
相談の結果、今日も上海観光に決まったらしい。でもこれまでとはちょっと趣向が違うのだ。今日のメインイベントは上海雑技団のショーを観ることになったのだ!
早速僕らは地下鉄に乗って上海雑技団の建物まで行って、チケットを買いました。これまでずっとこういう場で活躍していたのは肖君。今回活躍したのも彼でした。
言語の勉強だ! といってまた僕がしゃしゃり出るのもよかったのかもしれないけど、相手に難しいことを言われたら困るのでね。今回も、「一番安い席は完売しましたがどうしますか?」っていう話をされていたみたいだし、さすがに僕はそんな中国語がわかるはずもないのだし。
ショーは夜から始まるということで、僕らはそれまでの時間を潰すことを考えた。
『僕らは』とか書いてるけど、実は僕は何も考えていない。だから、どういう経緯で上海大学に行くことになったのかまるでわからない。
(「近いんなら行ってもいいんじゃない?」くらいは言ったかもしれない)
バスに乗ったり、歩いたり、いろいろ忙しくしていたように思う。そのとき僕はというと、街じゅうの看板を見ながら、頭の中で日本語と英語と中国語をぐるぐる回していた。メンバーにはただついて行っただけだ。
上海大学といえば、16日に出会ったおじさんが留学してる大学のはずだ。会えるかな? とは思ったけど、そうはならなかった。それが目的じゃないから、別に構わない。
土曜日だからか、人が少ない。そういえば、あのおじさんはこの大学は夜になったら閉まるようなことを言ってた。平日だろうと休日だろうと、昼だろうと夜だろうと動いている日本の大学とはちょっと違うらしい。
適当に歩きまわって、それから大学をあとにする。建物はすごく綺麗で、なんとなく工学系が目立った。どんなことをやってるんだろうか? 今後ちょっと気にしてみることにしよう。 |
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それから僕らが次に行ったのは和平公園という大きな公園。またバスに乗ったり歩いたりしたので、方向音痴の僕にはこの公園がどんな位置にあるのかさっぱりわかりません。
和平公園内に入ると、僕はおじさんがひとりでやっている売店を発見した。メンバーみんながトイレに行って全員の歩みが止まったときに、僕は言った。
「のどが渇いたから何か買ってくるよ!」
チャンスだと思ったのだ。
僕は売店まで走った。昨日「可楽」の発音を「クーラー」から「クールー」に修正したのだ。コレを試してみない手はない。
そして僕は、売店のおじさんの前に立って言った。
「クールー」
するとおじさんは比較的すぐにコーラを出してくれた。やった! とも思ったけど、ちょっとちょっと! おじさんの発音、「クーラー」じゃないかよッ! それ以来、僕は「クールァー」と発音することに決めたのだ。残念ながら、これを試す機会はなかったけども。
この和平公園では、広い湖で電動ボートで遊びました。僕は運転する気が無かったので、運転は全部肖君に任せた。イトックスと勘定奉行と隊長の3人は、別のボートに乗った。
肖君は2隻のボートで競漕しようと言った。僕はボートがレースをやっている間に、公園の景色を眺めて、ときどき写真を撮っていた。 それにしても、いくら土曜日だからってこんなに人がいるものなんだろうか、公園というのは。周りは地元の親子連れでいっぱいだった。家族でボートで遊んだり、年寄りの集団の傍に子供の集団がいたり、二胡を弾いてそれに併せて歌を歌ったり・・・。 |
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普通大都会と呼ばれる都市からは失われているはずのものが、ここにはあるようだった。日本の昭和の高度成長期ってこんな感じかなあと、昭和晩期の生まれの僕は思ったりする。
昼食は普通のレストランでラーメンのような変わった麺料理を食べました。
ややのどが復活していた僕は、今回は味がちゃんとわかった。
美味しい。
中国の食事情はきっと日本より悪いに違いないとか、はっきりと思ってたわけじゃないんだけども、どうやら自分がそう思ってたらしい、ってことに気がついた。
使用する食材の数が少なそうなのは置いておくとして、こと肉に関しては、中国人のほうが大胆な使い方をするなあというのが僕の感想。この数日で骨付き肉のでかいのを何回食べたことか。
この麺でも、野菜は全然なかったけど、でかい肉の塊がごろごろしてた。ちゃんと煮込んであって、やわらかくて美味しかった。
これが8元(約120円)なんだからすごいと思う。安いことが売りの日本の某ラーメン屋なんて全然話にならない。それより安いし美味しいんだもの。
そして次の行き先は、バスに乗って魯迅公園へ。
この公園もやっぱり地元の人々の憩いの場になっていて、老若男女問わず、この公園で遊んでいた。人、人、人でいっぱい。バドミントンをする若者たち、走り回る子供たち、凧揚げするおじさん、集まって話をする障害者の老人たち・・・。 魯迅の像と彼の墓があったけど、その周りでこれだけ沢山の人々が楽しそうにしていると、彼もきっと喜んでるんじゃないかな、と思う。魯迅のことは、日本に留学したことのある小説家としてくらいしか知らないから、彼がどんな人だったのかはよく知らない。でも、そういう風に思った。 |
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そいでからまた、僕は店やら地名やらの看板しか見ていなかったのでどこをどういったのか全然憶えてないんだけど、到着したのは多倫路文化名人街という美術品街でした。
ここでお土産を買うことになって、また1時間半ほどの自由行動時間になりました。
そうだ、そういえば、武田君が「中国っぽい置物買ってきて」って言ってたな。よし、ここで買おう。
それで僕はこの商店街を歩きまわったんだけど、なかなか思うような商品が見付からない。ていうか、どれもこれも高いのだ。小さい石の塊が80元(約1,200円)もしたりするのだ。それなりの置物なんてもっと高い。
何度もうろうろして、僕は、とある建物の中に入ってみることにした。
木彫りとか絵画とかを、何人かの作り手が自らの作品を持ち寄って(?)売っているアトリエのようだった。
入り口付近の木彫りの置物を、僕は眺めていた。そのなかにひとつ、複雑な形状をした竜の置物を発見した。これをつくるのは結構難しいんだろうな。
すると、じっと僕が商品を見ているのに気付いたお姉さん(30代くらい?)が、僕に中国語で話しかけてきた。この商品は買っても良いけど、やっぱりまだ商談は中国語では無理だ。複雑な商談は英語でするべし!
試しに、英語で言ってみる。
「英語で話したいんですけど、いいですか?」
ところが、これが全く通じなかったようだ(何度も言ってみたけど)。暫くきょとんとしてから、彼女はまた、中国語で何かを言った。
えーと、困ったな。仕方ないので、中国語で知っている言葉を使ってみる。
「いくら?」
すると、お姉さんは電卓を持ってきて、「90」と打った。90元ということなのだろう。日本円にして約1,400円。これはちょっと高いんじゃないの? 作品自体は申し分ないんだけど・・・。
「高すぎる(タイグェ)」
僕はそう言ってみたけれど、これはちょっと通じなかったみたいだった。
ここに来るまでに、僕は自分の旅行中国語の本を何度も読んでいたけど、それで気がついたのは、この本の発音のカタカナ表記は、実際の音からかけ離れ過ぎてるんじゃないか、ってことだった。著者の曰く「ピン音表記しても、どうせ日本人はカタカナ読みするのだから」ということだけど、だからってものすごく適当なカタカナを書かれても困る。たとえば僕の本には、「去」も「吃」も「チー」と書いてあるけど、前者は「チュイー」で、後者は「ツィー」と発音すると通じやすいっていうのはこれまで聴いててわかったことだ。
自分から発音するのは得策じゃないな。そう思った僕は、紙とペンを取り出して、「太貴」と書いた。
ちゃんと簡体字で書いたのが良かったのか、これなら判ったらしい。お姉さんは電卓を打つと数字を「75」にして、また何事かを言った。
でも僕には何を言ったのかわからない。首を傾げると、彼女は新聞紙を持ってきて、中国語で「これが最低額です」と書いた。
ここから押すべきか、買うべきか、やめるべきか・・・。僕がうーんと唸って考えていると、彼女はまた何か言う。それがやはり僕には通じていないと判ると、今度は「これは手彫りです」と書いて、木を掘るジェスチャーをした。
工場生産物じゃなくて、手でつくったから値段を下げられないということだろう。これ以上値引き要求するのは製作者に失礼だし、親身になって交渉に乗ってくれているお姉さんにも失礼だ(同一人物なのかもしれないけど)と、僕は思った。
「これ買います(ウォ・マイ・ヂョーグォ)」
と僕が言うと、商談成立だ。(ちなみに「これ」の発音は、通じなかった「チェイガ」から「ヂョーグォ」に修正してある)
お姉さんはその置物を袋に入れてくれて、僕は75元を支払った。僕が自分のペンをそこに置いたまま鞄に置物を仕舞っていると、「あなたのペンですよ」と言ってそれを手渡してくれた。「どうも(シェシェ)」と言って受け取る。
完璧なコミュニケーションじゃないかね? 僕はここで「僕の知らない言葉しか喋らない人に話し掛ける」という一見無茶なことをやり遂げたわけだ。このあと日本語や英語といった「知っている」言葉で交渉することにどうしてためらおうか。
それにしても、彼女は僕のことを何人だと思っただろうか? 妙な発音の中国語を話すし、おまけに簡体字を書くのだ。もしかしたら、どこか遠くから来た中国人だと思った・・・かもしれない。
あと、筆談は中国ではかなり有効だと確信した。漢字は表意文字だから、中国語の発音がわからなくても意味が取れる。僕の場合、街じゅうの看板を見て簡体字の勉強をしたぶんが役に立ったっていうのもある。
中国最後の夕食もやっぱり中国料理を食べて、それから、時間が近付いてきたので、タクシーに乗って上海雑技団を観に行く。
運転手のオッサンが道を知らなかったなんてハプニングもありつつ、僕らは何とか開場前に上海馬戯城(サーカスワールド)に到着。
やっぱり、本場の雑技団はすごい。ところどころ「なんでこんな演出にしたの?」っていうのはあったけど、そんなものは気にならない。やっぱり、プロはすごい。
宙返りの高さや正確さが尋常じゃなかったり、ジャグリング部がやるような不安定な板の上に片足で立ってなおかつ頭の上にお椀を蹴って乗せたり、っていうのが特にすごいと思った。あと、巨大球体の中で6台のバイクが爆走するのとか。
雑技団とハイテクの融合、というのがテーマなだけあって、レーザーやスクリーンや大道具の視覚支援は、もうこれはマジでカッコ良かった。
これが中国で行った最後の観光地だった。派手な幕引きでありました。
もう明日は朝から日本に帰るだけ。長かったようで短かった中国観光もこれでおしまいかと思うと、ちょっと寂しいような・・・。
明日はもう肖君はホテルまで来ないので、彼は僕らに、
「次は日本で会いましょう」
と言った。どんなカッコいい国際人なんだ。
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